横浜での評判の歯医者【ヒロ横浜デンタル】根管治療・審美歯科・虫歯

メニュー

理念の原点と創業者の思い(前編)

医療法人社団ヒロ横浜デンタルの理念の原点と創業者の思い

私は、昭和44年12月31日北海道芽室町という小さな町の農家の
4人兄弟の3男坊として生まれた。
高橋家は現在19代目の父母、20代目の兄夫婦、
そして21代目の甥が73町歩の畑作業と、200町歩の林業を営んでいる。

高橋家のルーツは加賀藩前田利家公の家臣である
慶長16年(1611年)高橋伝五右衛門が
初代創業者で、農夫150人と領地を150石耕していた。
当時、150人の従業員が一緒に働いていたそうです。

その後越中から北海道の芽室町の現在の位置に移動となり、第16代高橋忠太郎が現在の土地に入植となった。
当時は当然のことながらトラクター等も無く、全てが人の手で行われていた。

時折、大凶作時は種が無い状態の農民の仲間にタネを分け与え褒美を与えられたとのことである。
また、洪水で橋が壊れ、皆が困っている時に多額の寄付をして、地域の人たちを助けたそうです。


第16代高橋忠太郎の時代は、日本国内が大変貧しく丁稚奉公(おしん)の方が沢山いらしたそうです。
先代は多くの丁稚奉公の方、小作の方に支えられていたそうです。農業ですから、年によっての浮き沈みが大きく、
常に安定することが無いため、必ず資産を分散し、不労所得を得る様に考えていたそうです。
また、自分たちの経営が辛くなった時、周りの農家は不正をしたり、解雇したそうですが、
先代は絶対に従業員、業者さんに対しても誠実に対応していたそうです。
そこが医療法人社団ヒロ横浜デンタルのスタッフを大事にする精神にも繋がっています。
丁稚奉公の方は、大変貧しい家庭の方も多く、大人になっても帰る場所が無く、高橋家で骨を埋めて頂いた方も多いそうです。
先代は、丁稚の方達を家族の様に扱い、学校にも通わせ最後には埋葬まで行ったそうです。
医療法人社団ヒロ横浜デンタルの一番の理念は、思いやり
この精神はここから来ています。


第18代私の祖父髙橋浩次 私の字の浩は祖父からの時をもらいました。
若い時に赤紙をもらい、満州に行きまたした。


衛生兵(医者)として満州へ。当時敵国の人も助けたとのことで、
数年前に中国の河北省から表彰を受けました。
私の医療の原点はここにあったのかもしれません。

祖父は戦地でも人として生き、たとえ敵でさえも助けた最後の砦の医師でした。
ここが私達医療法人社団ヒロ横浜デンタルの理念の一つになっています。

 

根管治療・精密審美歯科【ヒロ横浜デンタル】横浜地域で評判

日付:  

アクセス

横浜駅きた西口から徒歩3分

住所:〒221-0835
横浜市神奈川区鶴屋町2-20-2田代ビル3F
TEL:045-311-8241

Google Mapを見る

問い合わせ
コチラをクリック

初診の方
コチラをクリック

PAGETOP